リニューアル
数年間放置してきた自分の作品紹介のためのウェブサイトを、やっとリニューアル出来た。
とにかく日々を暇に過ごしているので、毎日毎日、起床するとその日をどう忙しく過ごすのか、用事を発明することが一番重要な用事である。
忙しく生きるために用事を発明することが何より忙しい。そして、何をするのも面倒臭さがりな性質である。
面倒臭いは雲黒斎より悪い、と昔云われたことがあるが、自分自身は加齢と無精でとにかく臭いから、そこに面倒臭が加わっても微々たる変化と思う。
さて、このサイトでは僕がこれまで制作してきた主要な彫刻作品を紹介している。すらっと述べてしまったが、良く考えると彫刻制作それ自体が結構意味不明な活動であるので、それにまつわる種々雑多、ほぼ悉くが意味不明である、それはあくまで意味を捕らえようとするならばの話であるが。
意味を探ろうとしなければ、それほど意味不明とも感じなくなる。彫刻制作を始めたての数年くらいはいろいろと意味を解釈してやろうと理屈を捏ねてみたこともあったが、すぐに諦めてしまった。それ以来というもの彫刻制作に疑いを感じることなく、この不可思議な生活形態を日常としながら30年弱を過ごしてきた。
芸術には様々な表現方法があって、文芸や音楽、舞踏、絵画、書、多種多様な世界が広がっている。そしてそのどれもが人を感動させ、ある時は心を鷲掴みにし、哀しみと悦びと興奮とそのほか言葉にならない感情を我々の内側に湧き起こしてくれる。
しかしもちろん芸術だけが人生における感動の源ではない。人として、あるいは哺乳動物として、さらには脊椎動物として、われわれ人間は日々を生きながら何かに心を奪われたり、心を熱くしたり、泣き、笑う存在である。
現代社会では、とかく都市で生活する方が便利であり、都市は益々肥大化する傾向にある。人口密度の増加した空間では、これまた一人ひとりの人間に人間らしくあることを社会は強要する。つまりは前頭前野をよくよく発達させてお行儀の良い、物わかりの良い人間であることを殊のほか要求する。
僕自身はこの前頭前野がどうも未成熟らしく、都市生活はすこぶる苦手である。
その僕の、日常生活の在り様を綴る場として、こんなところにスペースをひょんと見つけてしまった次第である。
彫刻制作が芸術活動と呼べるかどうか、今は問わないとして、僕の気まぐれな日常を、気まぐれに綴る不定期な日記の一ページ目として、ふと、アヘン戦争なるものが頭に浮かんだので、少しだけ考えてみようと思う。
アヘンは麻薬である。その麻薬を巡って、それを売り捌いて利益を上げたい側と、持ち込まれては困る側とが、いがみ合ってしまって挙句の果てに武力衝突に至った歴史上の出来事である。
今、ロシアとウクライナではお互い何かしらの利権をめぐって武力衝突を続けているが、いわゆる先進国の利権も多く絡んでいるようで、この武力闘争における事実上の参加国は多い。とにかく人間は今も昔も、都市に居ても田舎に居ても、言うほど賢くは無いのである。
なので、芸術活動も必ずしも崇高な表現活動であると決めてかからずに、誰かの日常を忙しくするための用事として、そしてそこに残された残滓とみなしてまずは対峙してみませう。
ところでアヘン戦争と間寛平さんとは何の関係も無いのだが、寛平さんの顔を思い浮かべた方もごく少数おられることと思う。こういう無駄な言及が、この文章がAIで書かれたものではない、という証明になりそうな気もして、それを大事に思う場合はつまらない言及も無駄ではないのかも知れないですね。