10 Set Diaryby Shigeru Saito 窓の外 毎日を忙しく生きること。余計なことは考える暇もなく、ただ、その日に与えられたノルマをその日のうちにこなすことで目一杯の生活をすると、当然、ノルマの攻略に集中しなければならない。僕自身は自分自身にノルマを与えるのが上手ではないからか、毎日毎日、用事を発明することが日々の最も大切な日課になっている。ノルマはほとんど他からは与えられない。人との約束や、予約済みの電車や飛行機の移動があるような場合以外は、なんだかんだと僕の生活は自由である。その分、日々、無益な時間に人生を浪費してしまうリスクも大いにあるのだが。僕は人を思い遣ることが大の苦手だ。卵が先か鶏が先か、という議論ではないが、人を思い遣れないから社会生活に順応できないのか、自分のあらゆる行動に自分のリズムが必要だから自己中心的なのか。人と歩幅を合わせることへの苦手意識がどうしても拭えない。これは訓練で改善するよりほかはないから、積極的にとは云わずともできるだけ社会の一員でいる努力を怠たらないように努めている。自分の行動や感じていることを言葉で説明することが不得手なのは、きっと僕の頭が良くないからなのだろうと思う。頭の性能面の話である。シナプス結合が何らかの理由で局所的であったり、神経の興奮状態に何かしらの小さくないバイアスが掛かりやすいのだと思う。もしかしたら脳機能的には進化した人間が、神経興奮を認知の方へバイアスを掛ける仕組みを有しているところに、僕の場合はどうもそこらあたりが人間らしく作用していない、と薄々感じている。人間以外の哺乳動物における情動の発動と、僕自身の脳作用がいまだ似ているのかも知れない。例えば、受け入れ難い状況に立たされると、それを認知しようとする方の頭が途端に働かなくなる。電話が鳴ろうにも、もしもしの言葉を思い出せないくらいに電話そのものの意味すらほとんど失念してしまう。ただし、運良く僕は暇人なので、過去に起こした自分の失敗の理由を、ふとしたことで気付くことが多々ある。なぜ自分がああすることしかできなかったのか。あのときに彼はどうしてこう言ったのか。暇人の自分にはデジャヴのように自分が引き起こしたいろいろな過去の事件に、前触れもなく再び遭遇する。再び遭遇するのだが、実際は過去にすでに起こしてしまった事件であるから、今の僕はそれを傍観することしかできない。嗚呼と心の内で呟く。振り返って窓の外を眺める。今更ながら胸が強く締め付けられる。それが僕にとって周囲からの遅れを取り戻すための進化なのだろうと思う。進化は涙を伴う切ない一歩なのだ。 日々の考察 Share: Facebook Twitter LinkedIn Pinterest