不味く間違えた過去を取り消すために戻ることは能わないが、その後の悪路に背を向けず歩を進めることが現実として最も重要な筈である。克服できるかはもちろん自分の努力次第であろうが、状況が好転して助けられることも無くはない。

人間は問題を生産してそれを解決する、ということを繰り返して、大きく展開した脳の前頭葉を落ち着かせている。言い換えれば、日常生活で問題を作らないように知らんぷりをして、日がな一日を寝て過ごす、ということに満足できない本能を備えてしまっている。

脚は歩むためにある。右脚のあとには左脚を前に出す。考える必要もないし決断する必要もない。分かれ道に立たされても脚があるのならそのどちらかには進むことだろう。どちらに進むかは頭で判断するよりも先に、自らの脚が決断しているのかも知れない。