一歩を
イタリアで彫刻家として活動してそろそろ10年になる。初めてイタリア内で作品を納品したのは確か2005年だったが、その頃は就学ヴィザで、就労ヴィザは持っていなかった。
イタリアに転居したのは単純に自分が日本国内で作家として認められるのは難しいだろうと感じていたからだが、あくまで予感という程度で明確な根拠があったわけではない。
彫刻家と自称するのは決して自分を誇らしく、一端の芸術家と自認しているからではなく、とにかくもお金を払って僕の作品を購入してくださる方に対して、やはり彫刻家と自称することが僕なりの礼儀だと思っているからで、それ以外の理由はない。しかし考えてみると、自分自身の戸籍上の名前を名乗ることも、何かしらの責任を負うことであって、自分の好き勝手な名前を手続きにおいて名乗ることが出来ないことと少しだけ似ているかも知れない。基本的に名前も自分では選べない。
作品の売買に関することは画廊に全てお任せしている。画廊のスタッフはあれこれの手段と戦略を練ってお抱え作家の作品をクライアントにアピールするわけだが、そのためには作家自身の作品に対する思いや概念、テーマやその意味するところを、クライアントに対してあたかも壮大な物語のように饒舌に解説する。そしてまた多くの作家は自身の作品に対して、あるいは自身の制作活動に対して、深く考え抜かれたテーマやストーリーを展開しアピールする。
作品を展示する毎に、その作品の意味するところの説明を画廊のスタッフからは求められるのだが、僕自身、なにかテーマ、あるいは語るためにストーリーを作品に託して制作しているわけではないし、僕の秘めた想いを唯一の表現手段である彫刻に込めて制作に挑んでいる、というスタンスでもない。
我々は自らの脚で歩く生き物だ。二足歩行の意味はともかくも、僕らにとって生きることとは歩みを続けることとほぼ同じ意味と言ってよい。脚は歩むためにある。右脚のあとには左脚を前に出す。考える必要もないし決断する必要もない。分かれ道に立たされても脚があるのならそのどちらかには進むことだろう。どちらに進むかは頭で判断するよりも先に、自らの脚が決断しているのかも知れない。
僕は日本人である。日本語を自らの母国語としている。日本語を学ぼうと選んだわけではないし、他の言語と比べて日本語が有利だろうと判断したわけでもない。不随意的に呼吸するように、僕は日本語を習得した。当たり前だが机に向かって文法の学習などはしなかった。
分かれ道に立たされた時、一方の道の先に赤い実のなっている木を発見して、瞬時にそちら側の道に歩を進める。この時、あたかも赤い木の実がある道と他方の道との選択があったかのように感じられるが、実際のところ、それが選択と呼べるかどうかは定かではない。例えば、自分がパートナーに女性を選ぶか男性を選ぶかというのは、選んでいるというよりもむしろ本能的に自然と眼が行くのであって、パートナーという前置きが頭にあるときには自然と視野が限定的になる。それと同様に、前方に赤い木の実を発見したとき、もはや選択を悩むまでもない本能的な視野の焦点変化を受けるのかも知れない。歩いているときに左脚で続けて二歩を踏めないような、つまり次は右脚を出さないわけにはいかない、というほどの必然性で、僕らは沢山の分かれ道を歩んできたのかも知れない、ということを考えている。
画廊のスタッフやコレクターに「なぜ彫刻家を選んだのか」と質問されるが、僕は彫刻家という生業をいくつもの選択肢から選んだわけではない。僕の脚が今いるところへとただ歩みを進めた、と言う以外に腑に落ちる説明を僕は思いつかない。今もなお、日本語を喋るように僕は彫刻を制作している。家族を養うためでもなく、アパート家賃を払うためでもない。24時間、口を閉じて無言で生活することが不自然なように、僕が制作をしないのは自分にとって不自然なだけなのだろうと感じている。
つまるところ、彫刻制作は僕にとって僕自身の自然な振る舞いという以外に、動機を説明できる的確な言葉が思いつかない。
考えてみれば、言葉を覚えるにしても、我々は既に先人の用意した言語を習得するのであって、自分で言語を一から発明するわけではない。我々の歩みはある程度の標に沿って進んでいると言って過言ではない。彫刻という行為そのものだって先人が発明したもので、僕はそれを踏襲しているに過ぎない。人生における数ある歩み方のひとつとして先人が前例を示してくれたものである。人間は各々、物心ついた頃にはいつの間にか母国語の話者になっているし、いつの間にか巨大な群れの中で自身の立ち位置をすでに示されている。例えば日本人であれば義務教育を受けなければならないし、その期間を終えると社会に出るよう促される。六法全書を読まされたわけでもないのに、知りもしない法律によって罰せられる。ときには罰せられながら、見様見真似で罰せられない範囲を知っていくことになる。
少し話が逸れたが、内田樹氏は人間の人生について、既に始まっているゲームにルールを知らされないままいきなり参加させられるようなもの、と言及しているが、母国語を覚えるように、僕らは人生におけるルールを試合に直接参加しながら直に覚えていくように運命付けられている。
そういう運命の中で、高い能力を備えた偉人たちは、自分自身のナリをちょっとずつ超えて、群れ全体の能力の底上げに貢献してきた。先人が編み出したひとつひとつの細かな進展が、良くも悪しくも現代社会の途方もない複雑さを生成したといえる。
自分にとってただ自然なように振舞っているだけでは、自分のナリを超えていくことは難しいだろうし、そもそも人類社会を進展させてきた原動力は、自身のナリを超えてきた数多の先人たちの力である。ただし、自分自身のナリを超えるのは多くの場合、他者の誘いを必要としているようにも思われる。勇気という意味でも先見性という意味でも、きっかけをもたらすものは自分の内側と外側とに、同時的に発露することが少なくないのではなかろうか。松明を灯す人と、火打石を打つ人。云わばそういった役割分担である。
特に根拠もないのだが、そんな予感がしている。