ジョジョの生き方は、この御時世では時流にそぐわない身勝手なそれだったと判断されるのは仕方がない。しかし、ジョジョの、犬としての本能から言えば、ジョジョは犬としての誠を貫いたのだろうと思う。

僕が電車で出掛けるときは、駅までお互い徒歩で一緒に行って、僕は望むに電車に乗り込み、ジョジョはホームでお座りしながら僕の出発を見届け、そのあとはきっと街をしばらく散策して、のんびり帰宅していたようだ。

現代アートを生産すること自体、それにそぐわしい現代の意義がありそうである。数千年続く人類の芸術行為に現代的な役割を付加したし、制作にかまけるための言い訳もより複雑怪奇になっている。