一歩を
脚は歩むためにある。右脚のあとには左脚を前に出す。考える必要もないし決断する必要もない。分かれ道に立たされても脚があるのならそのどちらかには進むことだろう。どちらに進むかは頭で判断するよりも先に、自らの脚が決断しているのかも知れない。
眼を閉じないで
生物としての人間は本能的に遊び心を備えていると僕自身は考える。家族や友人がいなくとも、きっと人間ならば自分自身の体力と知力をもってして遊戯を発明したであろう。人間には想像する力がある。我々は空想する。
ひとり
たとえ望まれない状況のもとでも若者は恋をし、一生を共にする人との出会いにこのうえない幸せを味わっているに違いない。家族を持つ喜びを知り、悲しみを分かつことへの本能的な要求を知り、切磋琢磨することの悦びを知るだろう。
儚い誓い
世界は広いだけでなく、想像を絶する重厚さも秘めている。それでもなお、自分にとっては無駄な事物がどうしたって存在している。
窓の外
僕自身は自分自身にノルマを与えるのが上手ではないからか、毎日毎日、用事を発明することが日々の最も大切な日課になっている。ノルマはほとんど他からは与えられない。
執念という材料
「凄い」という言葉は形容詞でありながら実は言語で形容できないという自己矛盾を内包する美しい言葉である。
お掃除
自分自身を手入れする、というのは、自分の身体も頭も日々変化し続けていることに対する備えである。変化を防ぐことはできないが、その変化に対してすこしでも自覚的でいるのは有益である。
文化ということ
人類社会の制御しづらさは、実際のところ、カモメのジョナサンが抱えた抗えない自己そのもののように見えなくもないし、そうなると文化は外圧的に制御することの能わない極めて内攻的なものではなかろうか、とついつい想像してしまう。
Form follows function
つまるところデザインの根幹は、それが何の系統に属していて、その系譜をどこまで遡れるか、その枝葉を如何に深く鮮明に直覚できるかにかかっているのではないかと思う。
カラヴァッジョの眼
人間の脳は、心を鷲掴みにされる時、その他のあらゆる記憶のディテールは光も色も奪い取られ、虚無の空間に放り出されてしまうことを、カラヴァッジョは発見したのだ。