“人生“という言葉を使うとき、ひとは他の動物と人間を区別している。しかしながら人間は、人生を生きると同時に動物としても生存していかなくてはならない。

同じ時間を費やすのならば長所を磨くために努力することのほうが有効だと広く信じられているが、ひとつの弱点にいずれ自身の足が掬われる、ということはあまり顧みられない。

ある惑星が他の惑星の重力に抗えないのとほとんど同じ様子で、人間も互いの存在の影響から自由になれた歴史はなく、物質が重力に捕われたまま運命を預けてしまうように、人間も自らの感情の支配から無重力に至ることはない。

言葉を持たない動物が、愛や幸せを本当の意味で解っていると仮定するなら、明らかに彼らはそれらを極端に深くは追い求めていない。そう考えると、言葉は悟るための道具ではないらしいことが見えてくる。